真面目に考えたけどたぶんどうでもいい話

放置するのもなんだけど残す場所もないのでここに書いておく。ブラウザバック推奨。

 

僕は神社に行くのが好きだ。でも神様を信じているのかというと微妙だ。「いるかどうか分からないけれど、もしいるなら御利益いただきたいし、いなきゃいないでいいや」ぐらいのスタンスだと思う。神社に行くときは「ちょっと神様に挨拶していこう」みたいな気持ちだ。

で、冷静に見つめてみると僕の信仰(便宜的にそう呼ぶことにする)は「神様にお祈りして○○してもらおう」よりも「お祈りしないで不幸な目にあうと嫌だな」という思考に近かった。例えば怪我だとか病気だとか事故だとかだ。

でもそれって、不確実なお賽銭やお守りよりも保険に入った方が確実じゃない?という気持ちになった。まぁ僕は親に任せきりなので保険のことは全然分からないんだけども。

そこで気づいたのは、保険は何かが起きた後の保障で、信仰は何かが起きないように願っているということだ。要するに神頼みは転ばぬ先の杖みたいなものなのだ。

いくらお金がもらえるとしても、そもそも怪我をしない方がいいに決まってる。そういう意味で信仰と保険は異なるものであるし、共存し得るものだという結論になった。

 

長々と並べてきたけれど、僕が賽銭で投げるのは五円(ご縁)だし、御朱印やお守りを頂いたって数百円の話だ。目くじら立てるような額ではないし、それで精神的な安定が得られるならそもそも辞める理由もないのである。